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第4回 日本人と情報

これまで、「紙」媒体による情報の蓄積や表示、また伝達における仕組みと、電子化された情報の場合の仕組みとをさまざまに比較し、ネットワーク時代の課題を考えてみた。
情報の蓄積・表示・伝達の仕組みとは、言葉を換えれば経済活動のルールであったり、また社会的生活上のルールであったりするわけで、紙媒体を前提として作り上げられてきた社会制度と、電子化された場合のそれとは、単純に「情報媒体の置換え問題」として片づけられない多くパラダイム変化を伴うことに、私自身がいささか驚いていることを述べさせて戴いたつもりである。

実際、月末に私のところに送り付けられてくる「請求書」と言う紙を見ても、刻々と減っていく「紙幣」と言う紙を眺めても、毎日のように「紙」情報に振り回されている自分が情けなくもなってくる。
そんな訳で、少し気持ちを立て直す意味で、紙から離れて「情報と日本人」と言う観点で、情報そのものを考えてみる。

しばらく前にベストセラーとなった「第3の波」と言う本を、ご記憶の方は多かろう。この本が出版された当時、高度情報社会のパラダイムを大胆に描出した著としてかなりセンセーショナルに受け止められていた。
早とちりを旨とする私なぞは、「いよいよこれから情報産業の時代がきた。」と、情報産業を選択した自分に、密かに微笑んだものである。しかし、今日のネットワーク時代を迎えて改めて読み返してみると、当時の自分の早とちりに気づかされる。
この本の著者であるアービン・トフラー氏は、工業社会を支配してきた6つの原則を挙げて、情報社会は6つの原則に対して「挑戦し敵対する社会である」と指摘している。
氏の言う、6つの工業化の原則を私なりの説明を加えると以下となる。

規格化 製品の統一、手続の統一、マニュアルの整備、マニュアル人間の養成
分業化 役割分担の明確化、専門技能者の養成
同時化 だれもが、同じ時間に仕事を始め、同じ時間に終える。
集中化 なるべく近い場所で作業する。大都市に集中化させる。
極大化 同じ製品をつくるなら、大きいプラントの方がコストがやすい。
中央集権化 規格化、分業化した作業者の作業状況を一個所で把握する。

考えてみると、情報産業に身を置く我々がこれまでやってきたことは、この6つの原則そのままに、どのように作業を標準化し、効率よく全体組織を動かしていくかと言う命題に即していたのが実状であろう。その証左として、今日のコンピュータシステムの殆どは「○○管理システム」と呼ばれるタイトルを持ち、あたかも作業にあたる人間をコンピュータが管理するがごとき不遜な名前を冠している。
繰り返すがトフラー氏はこの原則が明確に「誤り」であると言っているのであり、「挑戦し、敵対しなければならない」と言っているのである。
とすると、これまで私を含めたシステム屋がやってきたのは、「情報化」ではなく「工業化」そのものであり、情報社会に敵対されること、すなわち情報社会に逆行することを一所懸命やってきたことになってしまう。

一方、戦後の混乱期から脅威とも言われる高度成長を遂げ、世界に冠たる産業経済構造を実現した日本の発展プロセスを振り返ると、トフラー氏の挙げた工業社会の6つの原則を見事に実現した社会構造にあったと言えないであろうか?産業社会はもとより、行政にしても、果ては教育体制にしても「社会全体」を支配する国民全体に及ぶ一定の目標価値の認識のもとに、6つの原則に従って極めて精緻で高効率な工業主体の社会構造の確立にあったとも言えないだろうか?また、今日までの日本の情報技術はまさしく、この原則のもとに営々として展開されてきたように見える。ここに、「情報」そのものの捉えかたを振り返ってみる必要を感じる。日本で価値があるとされるノウハウ情報ではない、別な価値ある情報があるはずである。
この6つの原則にない情報とは、一体どのような情報を意味するのだろうか?米国での一連の情報政策の展開にそのヒントがあるような気がする。

米国における情報スーパーハイウエイ、NIIからGIIに至る一連の戦略は、情報社会時代における米国のリーダシップの確保を目指したものとして受け止められている。1968年のARPANETへの取組みを始めとし、1985年のCALSコンセプトの発表、1986年のNSFnetの設立、1992年のInternet Societyの設立、1993年のNational Performance Reviewの提言、1997年の電子化情報自由化法の制定など一連の情報関連施策の展開は、一つの見方をすれば、今日のネットワーク時代の到来を予見し、その一つづつ着実に歩を進めてきた戦略のもとにあるようにも見える。
しかし、インターネットの原点とも言える ARPANETの主たる目的は、東西冷戦構造を背景として一個所が爆撃を受けても全体として武器研究が継続可能なフェール・セーフなネットワークにあった訳であるし、CALSは、財政赤字と貿易収支の赤字と言う双子の赤字に困窮した米国政府が日本の製造業の枠組みを電子化したそれに置換え、日本の製造業に対する再挑戦として位置づけた戦略としての一面を持つことも広く知られた事実である。

すなわち、今日に至るまでの米国における一連の情報施策は、必ずしも合目的的に逐次展開された訳ではなく、ヒューリスティック(発見的)に各々の時代背景と情報技術の進展とがリゾナンス(共鳴)し合いながら今日を迎えているとの見方が至当であろう。言い換えれば、あくまで結果として情報技術が「新しい価値創造」を実現していると言う見方もできる。
しかし、ここに新しい「情報」の役割を見ることができる。すなわち日本人が価値を認める「合目的的に組立てられた高効率な社会運営を実施するための情報(目的型情報)」ではなく「新たな価値を創造できるための情報(創造型情報)」の役割である。
次の表は、私が考えるところの、創造型情報と目的型情報の比較である。

  目的型情報 創造型情報
利用者 特定される 不特定(予定されない)
情報の使途 定まっている 定めない
情報への接近 検索型 発見型
情報の価値 ノウハウ
(どのようにするか)
ノウ・ホワット
(なにをするか)
情報の目的 効率的組織運営 機会開発と価値創造
情報の組織 効率・規律・統制 自律・分散・協調

米国社会には、ここで言う「創造型情報」を汲み上げるポンプがありそうである。残念なことに、日本の目的指向型社会にあっては、このポンプを見出すことは難しそうだ。



執筆  菊田昌弘(前代表取締役)



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